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問いの立て方ということ。

 

おはようございます。

 

 

戦後における日米の不自然な関係を告発して名を馳せた(?)孫崎享氏の著書です。
何か目新しい発見、知見、主張があるのか、と期待しました。
残念ながらそういうものはまったくありませんでした。
(Kindle
版で読みましたが、70
%段階でダウンです・・・)

 

この種の本は学者にしても、評論家にしても、実に多くが出版されていますが、その切り口がことごとく「何故、日本は無謀な―――勝つ見込みのない米国、英国、阿蘭陀に戦争を開始したのか」から書かれているものが多く、そこから逆算して、どこで引き返すことができたかを問う形となっています。
本書も同じです。
また、著者自身がそのことに焦点を当てて書いたと言っています。

 

こういう問いの立て方は正しいのでしょうか。

 

開戦に至らなければ、あるいは回避できたとして、その後の日本はどうなっていたのでしょうか。


見事、国民党政権が降伏し大陸を平定できたでしょうか。
中国共産党とはどういう展開になるでしょう。
それに対するソ連邦の動き・・・。

 

特に本書は開戦の経緯を問うと言いながら、先の大戦の本当の原因である帝国の大陸政策に一切触れていないことは奇妙です。
この点に触れずに対米英欄との開戦を跡付けても、意味のある結論は出てこないと嵐は考えます。

 

満州事変・日華事変という軍部の独走とそれを抑えようとしつつ、結果容認して、戦線を無闇拡大したこと。
楽観的に見ていた敵の降伏が全然到来いないこと。
正に泥沼化していたのです。
さらに満州国建国からして、世界の承認を得ることができず、帝国は国際連盟から脱退してしまっています。

 

この状況の中で、帝国は自存自衛の方向で進むことを決意しますが、言い換えればそこにしか活路がないという袋小路に嵌ってしまったとも言えるのです。

 

何と、この大陸への侵攻に必要な石油の6割を米国に頼っていたという事実は何を物語るでしょうか。
また、米国・英国は一方で援蒋ルートを使って国民党に支援もしていたわけでもあります。
大陸から手を引くか、このまま泥沼からの打開の道をどこかに求める以外に道はなくなっていたのです。

 

無謀であったとするなら、この大陸政策から考えねばなりますまい。
そして、そこにあった前提は敵は降伏させるもの、我が帝国の軍隊は必勝という神話にあります。
この神話の深淵を孫崎氏は日露戦争の勝利に求めています。
これを氏は自らの知見と誇っておられるようですが、それは多くの要因の一部でしょう。
満州事変の前には、五・一五事件、二・二六事件などの内政で危険な動きが政府を震撼させています。
こうした動きによる軍部の物理的な力と、さらに統帥権干犯問題や國対明徴運動などの思想(理論的な)力が世間を覆い尽くし始めていたことも要因に数えられます。
こういう時代の空気があってこそ、氏が拾い出した反対論に誰も耳を貸さなかった原因があるのです。

 

そこで、もう一度問うてみましょう。
こうした抗いがたい時代の空気に動かされて次第に日米に戦争絡みの緊張が高まって来た。
開戦に至らなければ、あるいは回避できたとして、その後の日本はどうなっていたのでしょうか。

 

嵐はむしろそういう問いから発する日米開戦の正体を知りたかったのです。

 

 

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| レビュー | 10:28 | comments(0) | trackbacks(0) | このページのトップへ
だから、リベラルは怪しい。

 

 

こんばんは。

 

 

ピエール瀧がコカインの所持、使用で逮捕される事件が発生しました。
芸能人がこの種の事件で逮捕されるのは、昨日今日に始まったことではありません。
言ってみれば「またか」というレベルです。

ところが、今回は様相を変え、彼が出演する映画、TV等の番組が自粛などの措置を講じるに当たり、他の出演者や関係者に罪が無いとして、そのような自粛はいきすぎではないかという議論が展開されているそうです。


その種の議論で最も効果を発揮したのは、おそらく江川紹子さんの以下の発言ではないでしょうか?

 

これについて、江川氏は「またも過去の作品お蔵入り、収録済み映像も編集し直し消去、みたいなことをやるのか…」と指摘。「薬物自己使用とか被害者がいない事件で、そういう非生産的なことは、もうやめた方がいいと主張した。」(東スポデジタル版より)


※ 自己使用が”肯定されたら、その人がその後もコカインを吸い、廃人になったり、あるいは死んでしまったらどうするのでしょう?
※ 被害者がいないといえるでしょうか? 放置するば、いずれ被害者がでるのは自明なことでしょう。また、友人や仲間に勧めたら・・・。
※ そのその法律で禁止されているものを破ったこと自体が問題の本質というものでしょう(仮に将来罪でなくなったとしても、です)。

 

これは恐るべき発言です。
薬物自己使用とか被害者がいない事件」と彼女は形容しています。
一言でまとめれば「誰にも迷惑をかけていないのだから」と言い換えても良いでしょう。
このロジックで言えば、逮捕するのも如何なものか、とか、誰かが被害を受けるまで放って於いて良いみたいに聴こえます(!)

すると、覚せい剤や麻薬所持は最早罪ではなくなる、という短絡的な思考を導き出しやしないか。

 

『不道徳な経済学』(ウォールター・ブロック、橘玲訳。講談社α文庫)では、麻薬の取り締まりは経済効果が低いからなくしてしまうという議論が書かれていました。
容疑者の割り出し、内偵、物証収拾などの煩雑な手続き、それに係わる人員・・・。
これらを計算すると、犯人逮捕による成果とでは不経済ではないか、と著者は主張しているのです。
事実、アメリカの幾つかの州がコカインではありませんが、マリファナを合法化したとのニュースも聴こえてきました。
その州では、この著者の主張を是としたのです。

 

死刑廃止という議論もあります(これは経済効果ではなく、残虐な刑の廃止が根拠ですが)。

 

罪と罰といったような問題は大変難しいものですが、江川氏のような論拠から一種不問に付すような考え方には嵐は賛同できません。

 

いわゆるリベラルな方々というのは、こういう柔い思考方法で、個人を尊重したり、弱者に視点を合わせたりする傾向があります。
しかし、ものには限度というものがあります。
世の中、そんなに甘くないのでは、というのが嵐の感想です。

 


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| 不規則発言 | 04:34 | comments(0) | trackbacks(0) | このページのトップへ
望月記者さん、やり方を変えましょう。

 

こんばんは。

 

 

東京新聞の望月衣塑子記者の菅官房長官への記者会見時の質問が“過激”だと話題です。
舌鋒鋭く官房長官に迫る望月記者と、その回答を
拒否する官房長官の図式です。

妨害にもめげず、「国民の知る権利」とそれを伝えるジャーナリストの責務を声高に主張する望月記者なのですが・・・。

 

嵐は、記者の使命感に敬服するも、やり方を変えるべきではないか、と思い始めています。
嵐の感想では、記者はどこまで現場や質問内容の裏を取っているのか些か疑問に思うからです。
官房長官の回答によれば、この記者会見、かなりの頻度で行われているようです。
そうした高頻度の会見に毎回毎回(?)、官房長官が絶句してしまう質問を浴びせるのは至難なことです。
すると、記者はどこまで調査した上で質問しているのか、という疑問は当然出てきます。
もちろん記者自身が調査する必要は必ずしもあるわけではありません。
一応、東京新聞を代表して質問しているのですから、社として調査に基づいての質問も在りです。
とは言え、あの舌鋒の厳しさから判断するにそうとうの自信がなければあのような聴き方はできない、とも思えます(他に何か目的があるか、何か含むところがあれば別ですが)。

 

このことで嵐が思い出すのは、モリカケ問題最高潮の時期に江田憲司氏が口にした次のような台詞です。

 

これだけ状況証拠が揃っているのだから、証人喚問してその証人の言葉、動作から黒なのか、白なのかは国民の目に明らかになる・・・

 

というものでした。

 

この発言は文字通り印象操作そのものです!
また、この問題を巡って野党は
決定的な証拠を掴んでいないということもいわば暴露したようなものでもあります。

 

結局、その証人喚問で黒か、白かが国民の前にはっきりしたでしょうか。
それぞれの印象は形成できたでしょうが、政府を追い詰めることはできませんでした。

要するにこのやり方は時間ばかりをかけて大した成果を挙げられなかったということにいい加減気づくべきです。

 

望月記者に話を戻すと、記者のやり方はその状況証拠の収拾止まりではないか、と思われます。
場所と立場上、官房長官が記者の
憶測””の段階の質問に返答出来る訳もなく、こう書いても良いでしょう、意地悪な質問にまともに応対する必要ない。
記者であるならば、記事で勝負すべきであり、苟も記事を書くならば現場を丹念に取材し、事実を報道して政府を追及すべきです。
その努力を疎かにして、憶測・噂で以て質問するのはやはり邪道だと思います。
厳しい点をつけるなら、「国民の知る権利」の美名の下に自らの記者として仕事の怠慢を糊塗しているのではないか、と言われても仕方がないのではないか、とさえ見えてくるのです。

 

この戦術に国民も飽きてしています(一部の方々は歓迎、応援を惜しんでしないようですが・・・)。
何故なら、成果がないからです。
政府を窮地にまで追い詰める効果がないからです。
だとすれば、このやり方は変えるべきです。
〇〇の一つ覚えなどと言われないうちに。

 

 

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| 雑感 | 04:26 | comments(0) | trackbacks(0) | このページのトップへ
脱、日本共産党宣言。

 

 

こんばんは。

 

 

東京新聞に掲載される中島岳志氏(東京大学教授)の『時事評論』がおかしい。
日付は失念してしましましたが、保守の定義、『希望の増税論』批判、消費税全廃論、等などの論説を挙げたい。
およそ何を主張したいのかまったく理解できないのです。

 

まず、保守の定義。
保守とは、人間の行うことは誤りの可能性がある。
その限界を踏まえてことをなさなければならない。
そして、その誤りをなるべく最小限に抑える努力を怠ってはならない。
そうするためには何をなすべきか。
少数意見に耳を貸すことである。

 

『希望の増税論』批判。
氏は著者の主張を肯定できない理由を、その解決の糸口に”家族”を持ってきたを論難します。
近代とは、現代とは、家族という軛を打破することにあったはずだ(基本的人権ということでしょうか)。
それを今更、家族に包摂することは歴史に逆行すると言う。

 

消費税全廃論。
歴代の戦後政治の付けを返済するために、何故、向後の世代が税金を支払わなければならないのか、と氏は主張します。
こんな不条理を現世代は元より、次世代が受け入れるはずはない。
そして、消費税の逆進性を盾にその税制の不公平を攻撃します。

 ・・・。

 

10台や20台の”若者”にアンケートを取ると、”保守”というとまず”日本共産党”が挙がるそうです。
それも尤もとも言えましょう。
戦後と一口にいっても70
年余の年月を経ているわけです。
昨年は明治150年だったそうです。
そうすると、その半分近くが既に戦後ということになります。
それをもはや”保守”と感じるのもむべなるかな、です。
まして時代はネット時代です。
文字通り日進月歩であり、むしろ秒速の単位で物事が動いているのです。
現代の若者に社会主義や共産主義を訴えたところで、彼(彼女)らにどんな響きがあるでしょうか。
現代に於いてこれらのイデオロギーを参照するよすがは北朝鮮であり、中共でしょう。
これらの国が自分たちの未来、あるいは歴史の必然等と想像できるわけがありません。

 

だから、中島岳志氏の論説が理解できないのです。
その保守の定義なるものは、究極、民主主義の根本理念の焼き直しでしかありません。
『希望の増税論』批判における”家族”へのこだわりにしても、それではその家族を乗り越える人間関係の基本単位を見つけることは不可能です。
消費税全廃論も、なるほど口当たりは良いでしょう。巻き上げられる税が少ないほど良いに決まって(?)います。
このように捉えれば、氏の論説は何かを声高に語っているようで実際は何も語っていないことに気づいてしまうのです。
確かに、その論説はこれまでの戦後のある時期、絶大な説得力を持っていたことを嵐は否定しません。
しかし、その効能はもう切れてしまったという他ないと思うのです。

 

あるいはこのような物言いは”敗北主義”的かも知れません。
しかし、氏の論説には何の魅力も感じなくなってしまっているという実感に嘘偽りはないとことも本音なのです。

 

さて、本書です。
随分と悪意に満ちた書きっぷりであることは本書を読む際に書かれていることを鵜呑みにしてはいけないことです。
とは言え、このような書き方でしか日本共産党を批判できないことの方に注意しなければならないでしょう。
地の文に掛かっているバイアスになるべく惑わされることなく、そこに提示される資料に注意を集中して読むという酷く努力を要する読み込みの疲れる作業をしなければなりませんが、日本共産党の存在価値、あるいは存在意義を冷静に測るものであると思います。

 

しかし、それにしても科学的社会主義を標榜する政党がこれほど人間臭い嫉妬、憎悪、裏切り、出し抜き等の生臭い”闘争”に明け暮れていることに驚異を覚えます。 

 

 

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| 思想 | 18:58 | comments(0) | trackbacks(0) | このページのトップへ
経済学は役に立つのか?

 

こんばんは。

 

 

ここに大変興味深い記事があります。
日付は何と2011
年2月です。
今から8年前。
話題は「失われた20年」の日本経済をどう取り戻すか、ということです。
そして、話者は池田信夫氏と森永卓郎氏。
まずはお読みください。

 

 池田信夫氏 ✖ 森永卓郎氏

 

森永氏は、日銀の金融緩和を推奨しています。
当時の論調では、日銀が金融緩和をして円の価値を人為的に毀損させ、為替レートを下げ、つまり円安を引き起こして景気を浮揚しよう、という論がしきりに騒がれていた時代です。
曰く、高橋是清財政に学ぼうというわけです。

これに対して、経済学者(主流派)は反対論を唱えていました。

 

結果はどうなったか・・・?

 

池田氏が語気を荒げて反対した理由。
そんなことをしたら、たちまち”ハイパーインフレ”が巻き起こり、日本の財政は破綻してしまう、というものでした。
※ 実は、嵐もこの論を心配していました。
ところが、ハイパーインフレなど起こらず、インフレ(≒物価)は上昇しませんでした(思ったほど)。

ここでも池田氏は、森永氏の主張を「19世紀の理論」だの日銀の白川総裁のレポートだのと権威に物を言わせて森永氏を圧迫する論法で叩きのめしているかに見えます。
それでも森永氏は食い下がって、善戦していますね。
池田氏はその後、自身のBlog等で森永氏を”電波芸人”と痛罵する人格攻撃にまで及びます。

 

8年後の今日から見れば、今までの結果は森永氏に軍配が上がっているようです。

権威に寄りかかる池田氏と感性重視の森永氏とは好対照です。
今になっても池田氏は、森永氏のような感性重視の経済学を「学会ではまったく相手にされていない」とどこかで書いておられます。
そして、この池田氏のような経済学者にはあの浜矩子氏もいましたが、途中から理論闘争を放棄して”アホノミクス”と中傷まがいのアジを連呼するだけの先生になってしまいました(一部では、”紫髪のばばぁ”と呼ばれているようですが)。

 

嵐は率直に池田氏や浜氏(そして、自分も含めて)の心配は杞憂であったと認めたいと思います。
確かにアベノミクスはそれなりの効果はあったのです。
とは言え、その効果たるや僅かに1%台というものでしかありませんでした。
もちろん、その僅かであっても失われた20年から脱却の曙光を感じるに十分だったと思います。

 

とすると、この対談で闘わされた議論にどんな意義があったのでしょうか。
経済学にどのような予測が立てられるのでしょうか。
おそらく、理論的には池田氏が正しいのでしょう。
ところが、現実の経済(≒景気)はその理論が示す方向には動かなかったということになります。
多分、池田氏(および、学会の主流派)のような人々は持論に固執するのではなく、アベノミクスの効果について謙虚に検証する必要があるでしょう。
その理論では押さえきれなかった要因の分析です。
また、一方、森永氏(や、天才大先生たち)は自分たちの主張が勝利したことに酔いしれるのではなく、何故、そのインフレ(=物価)が予想した時期よりも遥かに遅れて到来し、しかも僅か1%台に過ぎなかったのかを検証する必要があるでしょう。

 

 

最期に、池田氏の議論の結論はいつものとおり、持論の範囲を超える部分は”政治の問題だ”と逃げるのはお辞め頂きたい。
学問の自由(どのような理論を唱えることも原則自由という立場)にかこつけた責任回避にしか聴こえませんから。
それから、森永氏を嵐は基本信用していません。
余りにも軽いのです(失礼)。

 

 

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| 経済 | 17:29 | comments(0) | trackbacks(0) | このページのトップへ