【嵐の反乱】(中年男子の屈折改題)

たとえ明日がこの世の終わりだとしても、私は今日リンゴの木を植えます。

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2018.02.19 Monday

何も心配することはない???

JUGEMテーマ:経済成長

 

 

おはようございます

 

経済学学士として、恥ずかしながら、もう一度勉強し直しています。
今では使わなくなりましたが、いわゆる“リフレ派”と呼ばれる方々は世の悲観論とは真逆に日本の景気はこれから上げ潮だと喧伝しておりました。
少子高齢化も、国際残高も何のその、デフレで縮こまっていてはしょうがない。景気を上向かせるためには何でもあり、と言わんばかりたいそうなことをぶち上げていたのです。
その根拠とは何だったんでしょうか?

 

いやいや、ようやくその根拠となりうる“理論”を発見できました!!

 

それが本書です。
その第5章「国債」を読んでみましょう。

高橋洋一先生が散々ぱら唱えておられた、国の借金には“相手勘定”がある。
そして、それは“資産”なのだから心配は無用である、という事の根拠とはずばり下記の貸借対照表にあったのです。

 

 

「さて、日銀が金融政策で購入した国債は、日銀のバランスシート(=貸借対照表のことです)ではこのようになります。
「このように、日銀が国債を市場から購入(買いオペ)すれば、それは、日銀の『資産』になります。そしてその分、日銀券(=紙幣)が発行されるわけです。国債購入を増やせば、市場に日銀券が出回ります(マネタリーベースが増えます。
日銀が、資金量をコントロールしようと思えば、国債の残高(資産)を増減すればいいということです。逆にいえば、現在の通貨管理制度のもとでは、国債残高がなければ、銀行券は発行できないことになります。・・・(中略)・・・
「このバランスシートを見ると、私たちが使っているお札の信用は、国債によって支えられていることがわかります。」(P.157〜P.158

 

「日本の場合、原理的に、国の倒産はありえないのです。」(P.160)

 

素晴らしい!
私たちは何の心配もいらないのです。

 

 

なっ、わけがないでしょう・・・。
著者は、底抜けの楽観論をやんわりと否定しています。
先の説明では、国の借金、否、“政府の(国民から借り入れによる)借金”は、実は、国民の貯蓄を担保に取っていることに等しいことになります。
そうすると、国民(企業を含む)の貯蓄残高と国債残高がイコールになる段階に達するといよいよ国債価格の暴落=国債金利の上昇が始まると著者は言います。


「『国債価格下落=金利上昇はいずれ起こる』、実はそのとおりです。」(P.160)

 

続けて、

 

「財政再建を課題にする場合に問題となるのは、持続可能性についてです。私たち個人が借金する場合は、死ぬまでに返すという制約があります。ですが、国の場合は基本的に持続しますので、永久に借り換えが可能です。その場合、所得(税収)に対して借金残高が安定しているかどうか、つまり持続可能性があるかどうかがポイントになります。これを債務動学の考え方」といいます。債務残高が、名目GDPに対して、安定していれば、問題はないことになります。」(P.167)

 

何だか怪しい感じがしませんか。
もっともらしく語られていますが、要するに所得(税収)の範囲内での借金(公債残高)であれば大丈夫ということのようです。
それって、酷く直感的なことであって、何も経済学的に語られなくとも誰でも実感を持って肯くでしょうよ。

 

「理論上、債務の償還がなく、新規の借入がなければ、債務残高の伸び率は名目金利に一致するのです」(P.168)
「最低限、プライマリーバランスを均衡させることが、債務残高のGDP比率がこれ以上大きくならない条件なのです。持続可能性という観点からも、プライマリーバランスは、重要とみなされます。平成24
年度予算のプライマリーバランスの赤字は22兆円ですから、これは消費税率10%程度まで上げれば均衡します。」(P.169)

 

持続可能性。
要するに、遣り繰りということですね。
ここで消費税の増税が取り上げられているのが注目に値します。

 

「日本でも欧米諸国でも、すべての借金を返した国はありません。すべての国のGDPは、1995年より増加していますので、公債残高の額面も増加しています。借金は返すものでないことがわかります。どこの国も『借り換え』に『借り換え』であり、借り換えができるかどうかが重要なのです。
日本国という企業が、その金利以上に経済成長(GDPの成長)すれば、公債残高のGDP比は低下します。つまり、『経済成長>金利』であれば、政府にとって『借金』は、見かけ上も増えないのです。だから、経済成長が大切だと考えられるわけです。」(P.170

 

借金返済を上回る収入があれば、借金があってもやっていける。
とまぁ、そういうことを書いておられるのです。(未完)

 

 

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    2018.02.10 Saturday

    暗黙の前提を疑うこと。

    JUGEMテーマ:経済成長

     

     

    こんにちは。

     

    経済学学士として、恥ずかしながら、もう一度勉強し直しています。
    それも、三橋貴明の御説の反論を試みようとして・・・(爆)。

     

    本書は2011年9月1日初版の単行本です。
    こうして、過去のいわゆる経済書を読むのは著者の主張や予測の結果を確認できるという愉しみがあります。

     

    本書では、この時期日本経済に暗雲を垂らしていた“デフレーション”の解決策として、日本銀行による国債買い取りによるマネタリーベースの量的緩和を推奨している点が興味深い。


    氏は、三面等価の原則を当然の前提にして、デフレとは供給過剰であることを需要不足と見、それは市場に貨幣が不足しているからだと断じます。

     

    「デフレとは、物価が継続して下落していく現象である。逆から見ると『円の価値が上がっていく』現象と捉えることができる。日本国内で供給される製品やサービスに対し、流通する円の量が少ないわけだ。」(P.24)

     

    氏のこの論法は、次のように噛み砕くと分かり易い。
    今日よりも明日の方が値段が下がる可能性が高いと消費者が判断すれば、今日の買い物を明日に伸ばすだろう。
    さすれば、値段はさらに下降していく。
    以下、同文・・・。

     

    何故、三面等価の原則からこのような処方箋が生まれるのか。
    「供給は需要を生み出す」というセイの法則が前提されているからです。
    それは、そもそも三面等価の原則の以下の等式から由来するものです。

     

    GDP=消費+投資+純輸出

     

    ここで標準的な国富の指標であるGDPが出てきて、上記の等式が何の証明もなく氏より告げられ、本来の供給能力(潜在GDP)と現実の需要(GDP)なら棒グラフが並べられ、その差がデフレギャップ、つまり“デフレの正体”だと教えられます(P.28〜P.29)。
    この差を埋めるためには、一つの方法として市場を貨幣でじゃぶじゃぶにしてしまう量的緩和があるだろうと、それが先の主張です。
    デフレが進行する先の消費者心理の逆張りをしようというのです。
    今日よりも明日の方が貨幣の価値が下がる。つまり、物価が上がるとするならば、なるべく安いうちに買っておこう。明日買う予定のものも今日のうちに、いや未来の買い物も・・・。
    需要が喚起され、企業の設備投資が増え、景気が上向く。
    以下、同文・・・。

     

    「要するに、日本のデフレとは円のマネーストックが少ないことが主因であり、人口減少や少子高齢化とは直接的には関係ない。後先を考えずデフレから脱却したいのであれば、それこそ日本政府が国民一人当たり100万円の『手当』でも行えばいいのだ(総予算は123兆円)。いきなり手元に100万円が支給されれば、日本国民は『今後インフレ(ーション)が加速する』と考え、一斉に買い物や投資に走り、日本は一気にデフレから脱却することになるだろう。」(P.25)

     

    まさか、安倍首相が三橋貴明氏の主張を鵜呑みにしてアベノミクスを開始したとは思いませんが、日銀黒田総裁による異次元緩和とはこの手法だったわけです。
    それから数年。
    物価は目標である年2%の上昇率を1回も達成していません。
    確かにGDPの等式の純輸出は増大しました。
    故に、好景気という見方もあります。
    しかし、本来の目標であった消費(=需要)が伸びていないのです!

     

    どこで齟齬が、乖離が生じたのでしょうか。
    当然、前提を疑う必要が出てきます。


    そもそもGDPとは、制度も政治も、否、文化も伝統も違う各国の国富を比較するために人工的に作られた式なのです。
    私は先ほど、この式を何の証明も無しにと書きました。
    この式は、“その後”の説明がし易いように作られた仮定に過ぎないということを忘れてはいけません。

    本書の惹句は、「常識を疑わないバカが日本を壊す」とあります。
    その本書が、その実、その”常識”に依拠していることに気づかなければなりますまい。

     

              *    *    *

     

    ”新しい教養”と謳う本書は、この他にも多数の論点をカバーしています。

     

    ・政府の借金は国民を貧乏にする・・・×
    ・日本の道路はもう十分だ・・・×

    ・日本の年金制度は崩壊する・・・×

     

    そして、最終章では”これからの教養”と題して、氏の国家観や経済政策観が語られます。
    逐一論って、その論法の弱点を突く愚はしません。

     

    経済学の啓蒙書。いわゆる初心者向けの本で登場する、お決まりの右肩下がりの需要曲線や右肩上がりの供給曲線(何故か、いつも直線です!)が登場しないことにはほっとはしました。


    ビビットな話題を快刀乱麻、斬って、斬りまくる痛快さ。
    そして、分かったような気分にさせてくれる語り口。
    ファンが多いのも頷けました(私は、一冊で十分ですが・・・)。

     

     

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      2018.02.04 Sunday

      虎の尾を踏む立憲民主党枝野幸男代表。

      JUGEMテーマ:民主党

       

       

      おはようございます。

       

      立憲民主党の枝野幸夫党首は、先の衆院選以来、安倍首相が進める憲法改定に対して次のような主張を繰り返しています。

       

      「新安保法制での憲法9条改正には反対である
      「むしろ、首相の解散権を制限する改定が必要だ。」

       

      私は、先の衆院解散は実に絶好のタイミングで実施されたと思いました。
      案の定、それまで最大野党だった民進党は見事に自壊してしまいます。
      安倍一強は強化されてしまいました。
      さらに遡れば、安倍首相は何度も解散を行い、その都度自身の内閣を強化してきています。
      野党からすれば、この戦略を歯噛みして悔しい思いをしてきたことでしょう。
      故に、先の主張になっているものと思われます。

       

      ところで、首相の衆院の解散権は憲法に規定がありません。
      天皇の国事行為の規定を援用して実施されているものです、それも慣行として。

       

      「第7条 3 衆議院を解散すること」

       

      これはもちろん、天皇の意思で行えることではなく、内閣の助言と承認によりという制限の中です。
      枝野代表は、これは“制限”になっていないのではないか、と問題提起したわけです。

       

      さてここです。
      枝野代表はいきなり、天皇の国事行為を云々すると主張していることに注目してください。


      同じ第7条に規定される天皇の国事行為は以下のとおりです。

       

      「1 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること
      2 国会を招集すること
      3 前喝
      4 国会議員の総選挙の施行を公布すること
      5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに千件委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること
      6 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること
      7 栄典を授与すること
      8 批准書及び法律を定めるその他外交文書を認証すること
      9 外国の大使及び公使を接受すること
      10 儀式をおこなうこと」

       

      さらに、第6条においては、

       

      「国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」(2においては、最高裁判所の長たる裁判官を任命する)

       

      ともあります。

      こう読み返してみると、天皇の権限は思いの外大きいことに気づきます。
      そして、枝野代表はここにメスを入れたいと主張しているのです。

       

      私たちは、天皇の政治的関与がこれらの国事行為に限定されている経緯を承知しています。
      そして、それが象徴として与えられた一種の名誉職的なものであると理解してきました。

       

      ここへ来て皇位継承という問題も浮上しています。
      まとめると、この日本という国は天皇の存在を抜きに考えることはできないということです。
      密かに心配されている、皇位継承者の不在(=天皇の不在)が現実のものになると、日本の政治はまったく動かなくなってしまう可能性を秘めている(!)
      枝野代表はそのことを知ってか知らずか、図らずも指摘してしまったことになる。
      そのことは、極端に言えば9条の戦争放棄をどうするか以上の超駑級の問題提起になるかも知れません。

       

             *    *    *

       

      私は思うのですが、戦後70年、日本国が一応平和であった(戦争での死者を出さなかった)のは、昭和天皇の先の大戦への深刻な反省があったのではないか、とも思うのです。
      天皇は最期まで和平を追求しました。
      が軍部の専横で戦争に踏み切ってしまいます。
      ご自身は元より、輔弼に任に当たっていた政治家もこれを止めることができなかった。
      敗戦と伴に訪れた連合軍の占領下にあって、国家存亡の危機に立たされた天皇は、とにかく二度と戦争は起こさない、しないと訴える以外に日本国を残す弁明を持っていません。
      その点で、天皇の意思と連合軍の占領政策は一致した。
      この決意があってこそ、戦後70年の平和があったと思うのです。
      また、国民もまた戦争によってもたらされた塗炭の苦しみ、愛する者の死に懲りていた。やはり、二度と戦争は起こしてはいけないし、してはいけないと思っていた。
      故に、この憲法を受け入れ、尊重してきた。
      このような奇跡的な合意の上に日本国憲法は成立し、これまでたった一度の改定もなくこの日本国の形を作ってきた。
      誤解を恐れずに言えば、戦後日本国の國體になったと言っても過言ではないでしょう。

       

      とすれば、その昭和天皇、あるいは皇室の持つ平和主義が皇位継承の不可能で絶たれるような事態となれば、正しく国難といって差し支えない。
      保守派・民族派の言葉を借りれば「天皇陛下を戴く民主主義」の危機です。


      よくよく考えませんと、天皇不在時のこの国の統治は全て憲法違反という非常事態になってしまいます。
      もし、枝野代表に政治的なセンスがあるとすれば、それは無意識のうちに主張されたものとしてもとても大切な論点であろうと思います。

       

      枝野代表は、その憲法観をこう述べています。
      「憲法は国の形や未来を語るものではありません。主権者が権力の濫用を抑えるものです」と。
      これを聴くと何かずれているように感じます。

      成るほど、当面の政敵は安倍一強でしょう。
      その限りではそのとおりかも知れません。
      さらに憲法裁判所なるものを別個に設けるとの主張も聴かれます。
      これでは、政敵潰しのための憲法になってしまいはしないか。

       

      甚だ、心配です。

       

       

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      ◆【お断り】
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      は、中年男子(ペンネーム:唯井 遡)の自由な見解を勝手に書かせて頂いております。
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      毎日のコメント欄のチェックはお約束できませんが、コメント欄での引用元様のご指摘、ご注意、ご意見を最大限尊重し、お詫び・訂正・削除などの必要な対応を速やかに実施致します。

       

      本エントリは以下の書籍に触発されて書いたものです。

       

       


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        2018.01.27 Saturday

        安倍首相の開会式参加の深慮を歓迎したい。

        JUGEMテーマ:戦争・紛争

         

         

        こんばんは。

         

        予想外ではありました。
        安倍首相の平晶オリンピック開会式への参加表明です。

        さすがの憂国さんも噛み付いています!

         

        安倍総理の平昌開会式出席に断固反対する。

         

          安倍総理が、一転、平昌五輪の開会式に出席する方向で調整に入ったという。これまで伝え漏れてくる情報は、出席見送りが濃厚であることを示していたが、いつからか風向きが変わったのだろう。ネットでは、出席を促すために動いていた二階、竹下ら自民党幹部の調整や、公明党山口の要請ともとれる発言によって、出席せざるを得なくなったという意見もちらほら見える。しかし彼らは、総理が屈する相手としては軽すぎる気がする。とはいっても、最大の動機はいまだ不明だ。

        安倍晋三首相の平昌五輪開会式出席、リスクを取ったぎりぎりの決断 「慰安婦の日韓合意を終わったことにさせない」(産経)

         今回の産経新聞のインタビューや、首相の周辺取材を通じてみえてきたのは、リスクを取ることをいとわず、批判を覚悟して為すべきことを為そうとする「政権を担う者の責任」(安倍首相)だった。

         「韓国の文在寅大統領は日韓合意をおとしめ、日本に新たな措置を求めることを表明して、それで話を終わらせようとしていた。そうはいかない。安倍首相は文氏に、合意を履行して在韓日本大使館前などの慰安婦像を撤去しろと言う」

         首相周辺は語る。大統領選で、合意見直しを公約していた文氏の国内世論対策に日本政府は付き合わず、あくまで誠実な合意履行を突き付け続けるということである。それも、文氏にとって晴れ舞台となる五輪の機会に、最高の見せ場であるはずの首脳会談でだ。

         文氏の国内向けの「日本に言うべきことを言ってやった」というパフォーマンスを許さず、韓国には約束を果たす義務があると内外に示す狙いがある。

         失礼ながら阿比留さんの記事なので、安倍総理寄りの内容になることは含み置かねばならない。各社の世論調査によれば、「開会式に参加すべき/すべきでない」の調査結果は数字が拮抗している。しかし、「すべきでない」とする側に内閣・自民党支持者が多いことを勘案すれば、総理は自身の支持層を敵に回すことになる。第一次安倍政権が崩壊した理由のひとつに、靖国参拝を見送る等々による、この「支持層を敵に回す」というものがあった。それを最も理解しているのは、安倍総理自身であるはずだ。

         そもそもこの平昌五輪は、平壌五輪と揶揄されるほど、北朝鮮による政治利用が著しい大会だ。平壌が台本を書き、その台本に青瓦台が場所を提供し、ついでに共演するパフォーマンスである。この場合、現地で大会に花を添える各国首脳は脇役でしかなく、金豚に利用される道化となりかねない。そういう利用のされ方は、日本国民として願い下げなのだ。まして南鮮は、日本との約束を破り続ける国だ。誤ったメッセージを送ることになるというより、その政治ショーを脇で支えることになるのだから、保守派は参加すべきでないと言っているのである。

         阿比留さんの記事によれば、安倍総理は文在寅に対し、文と南鮮が注目を集める晴れ舞台で「約束を守れ」と言うことで、青瓦台に最大の圧力をかけようとしているということだ。しかし、これはいささか思い切り過ぎなギャンブルだろう。なるほど、恥をかかせるには恰好の舞台だ。しかし、舞台はあくまでアウェイだ。日本国内では、総理の南鮮行きに批判と失望の声が渦巻くだろう。

         文の魂胆は、安倍総理の開会式出席を政治利用するだけだ。開会式における安倍総理というキャスティングは、そこで終了する。いままで非礼を働いてきた相手である。首脳会談のドタキャンなど、可能性が皆無と言えるのだろうか。そういうことを考えるだけでも、リスクは限りなく高い。

         いままでブログでも散々書いてきた通り、私は総理の南鮮行きに断固反対だ。自民党内では傘下に猛反発があるようで、それ自体は、自民党がまだ健全さを残していることの証拠だろう。ただし、一度決めたことをひっくり返せば、総理総裁としての求心力の低下を招くため、総理が決断を変えることはないだろうと想像する。その場合、首脳会談での日韓合意遵守を迫る強硬な姿勢を内外に示すことができなければ、総理は自ら墓穴を掘るだけになる。

         それにしても、だ。今回の日程調整で総理の外堀を埋めた、二階俊博、竹下亘両氏は、まさに万死に値する。過去の過ちから学ばず、ひたすら特アに媚びるこういう議員こそ、自民党から消えてもらいたい。」

         

        安倍首相礼賛派の憂国さん。
        いままで無理筋でも安倍首相を擁護して来ましたが、流石にこの表明には待ったをかけました。

         

        私はというと、これも“在り”かなと考えます。
        仮に欠席ということになれば、韓国・北朝鮮はもっと接近するでしょう。
        それでは、北朝鮮包囲網の綻びがもっと大きくなってしまいます。
        確かに日本のプライドは守れるかも知れませんが、失うものも大きい。
        もちろん、安倍首相は相当うまく立ち回らなければ、憂国さんの言うとおりの結果になるでしょう。
        そういうリスキーな外交を敢えて選択してということは、それなり勝算があると踏んだからです。


        過日、韓国の分からなをエントリしましたが、そういう屈折した国民感情の国を相手にする以上、こちらも大きな包容力で少しづつ、少しづつ“誤解”と“反発”を解いて行く必要があるでしょう。

         

        私はむしろ、この勇気ある外交に期待します。

         

         

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          2018.01.27 Saturday

          死者に鞭打つ池田信夫氏。

          JUGEMテーマ:政治思想

           

           

          こんにちは。

           

          池田信夫氏については、一時この零細Blogでよく取り上げたことがありました。
          ツンとすました姿勢で、随分と上から目線での様々な”評論”には憤慨の連続。
          呆れて離れていったというのが真相です。

           

          同じ評論家である、西部邁氏が自殺したとの報を耳にし暗澹たる思いをしています。
          と言っても、氏の評論に賛同しての訳ではありませんが・・・。
          随分とご高齢の氏が、その最期を自殺で決算したことに対する思いです。

           

          さて、その死について、件の池田信夫氏は何と書いたか。

           

          保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱 (講談社現代新書)西部邁氏の自殺は、意外に大きな波紋を呼んでいる。私は20年ぐらい前に彼と縁が切れてからまったく交流がなかったが、本書を読むと、そのころから進歩してないなと思う。彼の「保守主義」は反語であり、思想としての中身がないのだ。

          彼が「朝まで生テレビ」でマスコミにデビューした1980年代には、新鮮だった。社会主義や一国平和主義を信じる人が多かった時代に「悪役」として登場した彼は、戦後のモダニズムの盲点を突いた。彼の保守主義は、伝統や慣習にもとづく漸進的改良のみを認め、フランス革命のような大変化を否定したバークの思想だった。

          その中身は常識的で退屈なので、フリーになった西部氏は「反米保守」を自称し、「あらゆるカイカクに反対」するようになった。英米で始まった「保守革命」が90年代に日本に波及したときは「新自由主義」を罵倒し、『小沢一郎は背広を着たゴロツキである』という本まで出した。

          それは文筆業で食っていくために「角度」をつけるマーケティングだったのかもしれないが、保守すべき伝統とは何か。「国柄」を大事にせよというが、江戸時代に国家はあったのか。「民主主義は悪だ」というが、それよりましな統治形態はどこにあるのか。「対米従属」を批判するが、日米同盟以外に国を守る方法があるのか。本書を最後まで読んでも、それはわからない。異様にカタカナの多い衒学的な悪文だが、中身は陳腐な解説だ。

          保守主義は現状維持だから快適だが、部分最適化を続けていると英国病のような「ゆるやかな衰退」を避けることができない。それがいま日本の陥っている罠である。これを打開するには全体最適化が必要だが、彼は改革を全面否定して袋小路に入ってしまった。

          要するに西部氏は、アメリカ的モダニズムを批判するが対案の出せない「右の万年野党」だったのだ。かつて彼が批判した一国平和主義を主張する人は今はほとんどいないが、反米感情はいまだに右からも左からも蒸し返される。その意味で彼はパイオニアだったが、それは思想として深まらなかった。

          保守主義はモダニズムの解毒剤としては意味があったが、それ以上のものではなく、彼に続く人はいない。彼はみずから「最後の本」と呼んだ本書を最後に自殺したが、それは一つの必然だったようにも思える。」

           

          と、お悔やみの一つもない冷血ぶり。
          それも2日に渡ってのものでした。

          同じ時代を生きた同業者として涙のの一滴でも流して欲しかった。

           

           

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